慧一之水 えいちのみず

養父

22歳の時に東(あずま)健吾から岩本健吾に変わった。

何から何まで変わった。

なんなら運命まで変わった気がする。

 

普通なら断るんだろうが、東に未練は無いし、執着も全くなかった。

東の親父が嫌いとかなんとかではないが、どっちでも良かったってのが本音。

 

生活は一変した。

昔から東って呼べれてなかったのが幸い。

だが、銀行だはちょとだけ困った。

「岩本様〜 岩本健吾様〜 岩本様〜 岩本健吾様〜 

岩本様〜

ようやく自分の名前を呼ばれていると気づいた💦

 

 

小学生の頃のあだ名は”あっけん”

”あずけん”が”あっけん”になっただけ。

 

これはまぁまぁ長いこと言われてきた。

あとは、健吾とか。

中には東って呼ぶのも居たが、岩本になった時はすでに大人。

 

東でもあっけんでもなく、普通に健吾って呼ばれた。

不思議だね〜それが大人ってもんだね〜

 

さて、岩国に住んでいた養父と母は由宇に家を建て引っ越した。

目の前は海。

リゾートチックな場所だが、家は昔ながらって感じ。

そこまで思い入れもないし、本当にたまに帰るぐらいの場所。

 

順調だった岩本家。

仕事も良いペースで受注してお金周りも良かったんだと思う。

母は着物に時計にと、プチ贅沢をさせてもらっていた。

 

しかし、幸せはそんなに続かなかった。

俺が34歳の時、養父は肝硬変になった。

67歳だっただろうか。

お酒はそんなに飲むわけではないので何が原因だったのかは分からない。

 

肝硬変の進行は早い。

 

水が溜まり、顔は黄疸が濃ゆい。

 

そしていよいよ最後の時が来たが、養父は俺を睨みつけて「わしを早く死なせるつもりだろ!」

って、言うてきた。

 

「土壇場で出る言葉ってそんなんじゃないはず・・・」

十分元気じゃんって思ったが、そのままスーッと息絶えた。

確かに無理やりっぽいやり方だなとも思った。

 

俺の指示ではない。

先生が判断したんでしょうよ。

 

死に際・・なんとも言えない感覚だったのを覚えている。

あっけない幕切れ。

 

すぐに葬儀屋を手配。

淡々とお葬式を行なった。

代表として喋ったが、何を語ればいいのか・・・。

のような弁だった気がする。

 

母はここから老いが早くなった。

 

 

別に人より苦労したなんて思ってない。

中学からバイトしたのも人生。

高校を全部落ちたのも俺の人生。

捕まったのも俺の人生。

プロのミュージシャンになったのも俺の人生。

 

これが俺の人生。

 

友達をいっぺんに5人亡くすのも俺の人生。

早めの同棲も俺の人生。

全て俺の人生。

誰かの人生じゃない、俺の人生。

人生は自分で作るって思ってきた。

火事をやらかした時、人生詰んだなって思ったのも人生。

復活するのも人生。

ふざけすぎて死に掛けたのも人生。

病気で死に掛けたのも人生。

 

それでも生きている。

こうやって慧一之水を世に出せている。

 

今、親孝行というものが出来るものなら、慧一の極上温泉に入らせてあげたいと思う今日この頃。

 

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