生きるか死ぬかの瀬戸際 慧一の水
今から5年前の2018年7月6日、広島に線状降水帯が居座り未曽有の土砂災害をもたらした。
勿論広島だけが酷かった訳でもない。
他の地域の方も同じように被災されてる。
遡ること2018年7月7日、朝5時に俺は吉島の自宅から熊野のセブンイレブン目掛けて車を走らせていた。
というもの、前夜、吉野(イベント会社を任せている社長)から連絡が入った。
※移動中にパシャリ
彼ら2人を呉から戻すにはどのルートがいいだろうか?
俺は迷わず「海岸線!で帰らせろ!」と伝えた。
しかし、何故か彼たちは熊野、矢野のルートを通って帰路についていた。
安心しきっていた俺は、まさかそっちのルートを通って帰っているなんて夢にも思わなかった。
【それが最も早く帰れるルート】だとナビが記したようだった。
夕方19時半、先に進めないと連絡が入る。
「どうすることも出来ない。目の前の道路が川みたいになり通れない。
後ろも同じようになっていて戻ることも出来ない。」
所謂立ち往生状態。
そこにセブンイレブンのトラックも巻きこまれる。
セブンのトラックが防波堤のようになっていたが、それもつかの間、そのわずか何分か後に、上からの土砂と鉄砲水に飲み込まれ、全員流されることとなる。
その2人というのが、多田という若者と、このブログの中に出ている幸(ゆき)だった。
(天才同士が💦 | 慧一之水 えいちのみず (eichinomizu.com))
その間も、ゴーゴーと音を立て振り続ける。
こちとら心配なけど、どうすることも出来ず、ただあてもなく連絡を待つしかない。
しかし、待てど暮らせど、何の連絡も入らない。
大丈夫か・・・。
生きた心地がしない。とはこのこと。どうなっとんや・・・。
吉野に連絡するが、吉野にも連絡は入っていない。
マジで大丈夫か・・・。
やっと、連絡が入ったのが夜中の12時過ぎた頃。
「何とか助かりました。」
ホッとした。
逃げ切った場所が病院で、そこにいた人に電話を借りて掛けてきたらしい。
鉄砲水に流され側溝に落ち、流されながらも必死になって網にしがみつき、難を逃れた。
その時、蛍ではないが、何かに導かれるように付いて行ったら病院にたどり着いたとのこと。
守られとる。
幸は、神から助けられた存在。
死んだ人もたくさんいる中で、助けてもらった命。
やり残した使命があるんだと感じた。
で、朝の5時前に吉島を出発した。
距離で言うと、待ち合わせ場所まで5キロちょっと。
まぁすぐぁに付くだろうと考えていたが、それが甘い見積もりだとすぐに分かった。
道という道が大渋滞。一向に進まん。
結果、待ち合わせの熊野のセブンに到着したのは13時頃。
「悪い、悪い遅くなった。ごめんの!!てか、大丈夫か?!」
「ボス~(涙)」と涙ぐむ多田。
「大丈夫じゃったか?よう戻って来たの」
「なんとか・・・大丈夫でした。」
それから多田と幸とセブンの運転手さんを連れて戻って来た。
あれからセブンの運転手とは会っていないが元気に仕事しよってのはず。
5年前の出来事がつい最近のように感じられる。
時が経つのは早い。
そして今日も昼から雨模様らしい・・・。
※アイキャッチ画像は幸本人ではありません。
あくまでもそっくりな人です。
それでも超似ています。
よくぞここまで似るもんだ👏