慧一之水 えいちのみず

太田博士の独り言2 慧一之水

それから36年、この仕事が私の人生の半分を占めるものとなるとは、また、こんなに大変な仕事になるとは夢にも思いませんでした。

 

そして、当時の機械は欠陥だらけで修正箇所が山ほどあり満足に動かないものでした。

それが全国に350台もあるのですから只々忙しく大変な事でした。

 

しかし、時間とともにそうした欠陥も改良され2年後にはそれなりの性能を持つものとなっておりました。

私自身も塩野義製薬のおかげで経済的にも豊かになり毎日がやりがいがあり、このような日が永遠に続くと思うようになっていったのです。

 

塩野義製薬は当時同じような装置を開発していた新日鉄、TDK、旭硝子などとともにこの装置から生み出される電解電子水を使っての臨床試験に入ることとなりました。最終的にはその試験は3年間に及ぶのですが(平成4年から7年まで)その結果は塩野社長が言われる通りになったのです。

 

当時の電解電子水は今の現在の電解電子機能水の約1/50程度の力しかないもので、また、3日ほどしかその効果が維持できないものでした。

現在は電解電子機能水を希釈してその中に多元素共存鉱石をお風呂に入れてその温泉効果を楽しんでいますが、当時は飲ませる以外の選択肢がなく、非常に飲みにくいものを飲んでいたのです。それでも結果がどんどん出ました。

 

特に細胞の病気である退行性疾患には効果がしっかり出る事がわかりました。

 

塩野義製薬は全国30か所の病院、TDKは北里病院、新日鉄は自社の病院でテストを行ったのですがほとんど同じような結果が出たのです。平成6年に自衛隊がアフリカのルアンダで行ったPKOでも全く同じ結果が出ました。

ルワンダでは退行性疾患だけではなく皮膚病、壊疽、やけど、目や口の病気、疫痢や赤痢等の病気にも効果があることが証明されました。

 

PKOに派遣された部隊は薬が枯渇し塩野義製薬の電解電子水を多用し治療をし、多くの病気、けがなどを治したという記録が残っています。これらの実証の結果は一言でいうと「電解電子水は多くの薬の代替となる。」と言うこととなります。

 

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