母の7回忌 慧一之水
2月24日は母の命日。
母は20歳で俺を産んだ。
長崎は佐世保の小さな炭鉱の島の銭湯で陣痛が始まったらしい。
一人息子の俺を大層可愛がったに違いない。
まぁ悪さしすぎて手にタバコの灸をされたり、水を張ったバケツに顔を入れられたりもしたが、今となっては、まあ親ってそういうもんだよなと思える。親とは理不尽なもんだ。特に昭和という時代がそうだと思う。
今じゃ、不適切だろう。
それから56年。
佐世保に愛着はあるものの、気づけば広島県人となっている。
母は最後まで佐世保弁。
その影響もあり、長らく佐世保弁が抜けなかった。(今でも抜けきれていない)
そんな母も7年前に他界。
トイレの中で座ったまま亡くなっていた。
連絡が取れないのでおかしいと思っていたが、デイサービスに行ってて連絡が付かないもんだと勝手に思っていた。しかし、そうではなく、既にその頃は息絶えていたんだと分かった。
情けないが、1日放っておいたことになる。
毎日、水を届けに行っていたのだが、この時はタイミングが悪すぎた。
すまんと言いたいがどうしよもない。
鍵がかかっているので警察と消防に連絡。
家で亡くなっているので事件扱いとなる。
一応事情聴取を受ける。
もちろん殺しちゃいない。
その晩は母と過ごした。
死亡原因は分からないまま。
しかし、薬はぎょうさん飲みよった。
もちろん、タバコも酒も。
少しアル中気味じゃあった。
生まれてくる孫を楽しみにしとった。
「今度はどげん顔しとるっちゃろかね☺️
莉桜は、あんたにそっくりばってん、男んこは、ひろみちゃんにそっくりならよかね☺️」
2月1日に生まれた息子は未熟児だったので保育器で育ち、その後も百日咳になったので退院が5月中旬まで伸びた。
結局見れないまま、天国に戻って行った。
見せたかったけど、仕方ないよね。
でも、その後、母の匂いがふとすることがあった。
息子を見に来てたんだろうなと。
その母のお墓参りに行ってきます。
もう少し長生きしてくれれば慧一のお風呂にどっぷり浸けたのにな〜と。