慧一之水 えいちのみず

開発者の言葉 えいちの水

電解電子機能水を開発した太田社長の言葉を何回かに分けてお届けしたいと思います。

 

〇自衛隊幹部として

私は海上自衛官でしたが、航空自衛隊の小牧基地に訳10か月語学入校し、みっちりポルトガル語を習ってきました。(海上自衛隊にはそのような施設が無かったため)その後、陸上自衛隊の正平にあった調査学校に入校、情報収集についての教育を受けました。
表向きは航空管制を主業務として、裏では海外情報の収集と分析、時には海外出張にも出ました。

 

私の担当のポルトガル・スペイン語圏ですので、主に南米、中米が主活動地点でした。
1982年に発生したフォークランド紛争時にはアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに約3か月間身を置いていました。

日本人としてではなく日系ブラジル人としての顔でです。

私の収集する情報は大した事はなく本情報の裏取的役割より示しませんでしたが、日々大変なプレッシャーとリスクを感じました。
その後帰国し、海上自衛隊としての勤務に戻りましたが、明らかに自分が捨て駒的な立場でしかなく、このような仕事を続けていくと将来家族に迷惑が掛かると思ったこと、また絶対に途中退場が出来ないことであり、アメリカ軍をやっつけるという当初の目的も果たせない事から自衛官を退職しようと決心し、昭和58年に退職する事になりました。

計14年間、自衛隊にお世話になりました。

その後自衛隊とは全く縁を切り、民間企業で務めたりしてきましたが、どうも性格的に問題があるせいか周りと余りうまくいかず、この33年間(昭和63年から)会社経営としてやって来ざるを得ませんでした。
しかし自衛隊時代に学んだことは良い悪いは別にして、その後の人生に大きな役割を頂きました。

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