慧一之水 えいちのみず

人生って面白い

俺の人生を振り返ってみますね。

 

小学生時代は、ほぼ野球しかしていない。

一応レギュラーじゃが、ちび過ぎてライ8(ライトで8番)。

中学になり、いきなり肩と強く、足が速くなり1年からベンチ入りすることに。

2年で副キャプテンとなり、やっと1番ショートに。

 

とまあ、ここまでは普通に生活していたのだが、色々あり高校受験は落ちてしまい、美容師を目指すも、その後高校から連絡があり、繰り上げ合格となる(頭の良い人達は私立を選ぶ)。

 

そもそも勉強をしたくない俺は、歩行者天国で踊ることや、バンドとファッションの事しか頭に無し。貧乏なこと、色んなモノを買う為にはバイトしかなく、ガソリンスタンド、ボーリング場、焼肉屋、弁当屋、引っ越し、とにかく何でもやって稼いだ。

 

その後、やはり美容師になりたくて突っ走るも、母親の言葉で断念。

偏差値27という低さで、大学受験。で、合格してしまう。ああ無情。

 

大学(一応経営学科、経済学部)行ったところで勉強なんて一切する気なし。

親は離婚してるし、オヤジの借金は残ってるしで、働かにゃきゃどうしようもないから、全て自分で賄う。最初は営業の仕事したけど、向いてなくて辞める。

その後、ガソリンスタンド、すし屋、レンタル機器&ディスコ&バンドで4年間過ごす。

遊びたいけど、働かないと生きていけないので盆も正月も無し、実家に戻ることなど皆無。

 

この間、火事、急性アルコール中毒で死にかけ、友達を5人いっぺんに亡くし、女性と同棲し、自宅から高校へ通わせる。家庭訪問で先生から呆気にとられる(※彼女(最初の嫁)の母が再婚して俺の所へ置いていったから仕方ない)。

 

この時点での俺は、まだ旧姓。

 

大学3年の時に是が非でもプロミュージシャンとして生きたくなり、オーディションを受けまくるも落ちまくる。周りにプロに絶対になると豪語しまくるも、そんなの無理じゃろうと、相手にされず。結果、卒業後一度就職することに。

 

就職の面接時、社長と副社長の前で「ずっとミュージシャンの夢は諦めたくないのでオーディションは受けまくります!もし万が一受かった場合は辞めさせて頂くと思いますが、それでもよければ採用してください!」と伝えたら20人居た中から選ばれた🤣

 

そうは言うてもオーディションには受かりはせんでしょう・・・。

とお二方は思われたのでしょう。

 

諦めなかった結果、その一か月後見事に合格。

その後ミュージシャン人生を歩むこととなる。

 

お分かりのように、俺は一切健康的な事をやってきていない。

いや真っ先に死んでもおかしくないような人生を歩んできている。

 

それが今じゃ、健康だの、解毒だの、偉そうに語っている。

人の運命は本当に分かりませんね。というお話でした。

 

男55才にして新たな挑戦をしています。

ほぼ0から立ち上げた会社、それが㈱慧一です。

 

通販の会社なんてしたことがない。

ネットで販売したことなんてない。

システムさえ組んだことさえない。

インスタもやったことがない。

 

それでも出来るもんなんですね。

 

また次回、時間がある時にでも、自分に投資した話をしますね。

 

 

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