慧一之水 えいちのみず

母の命日❶

今日はこれからお墓参りに徳島まで。

なぜ徳島?

実は分骨してるのです。

 

2017年2月24日は母の命日。

9年前永眠しました。

彪雅が生まれて、すぐのことじゃった。

 

義理の父(岩本)は今から22年前に他界。

 

今でも覚えているのが、父の死に目の時。

 

「わしを殺そうとしとるんじゃろう!」

と言う言葉が出てきた。

 

肝硬変だったが、浮腫んで腹水が日に日に溜まって、顔色も独特の色となっていた。

痛みがあったのか、最後はモルヒネからの・・・。

 

その時にあの言葉が出てきた。

 

死ぬのは怖い。

恐怖心と闘ったと思う。

 

その時に出来ることは何もない・・・。

 

体は無くなるけど、魂は残ったまま。

しっかりと天国へ戻れることだけを祈った。

 

父が亡くなった後、母は由宇町に購入していた家に、一人住まいだったが、ある時から呉に居ることが多くなった。

というのも、呉には婆ちゃんが住んでいた。

そこに居候でもないが、居ることが多くなったようだ。

しかし、ここで腰を骨折。

そのまま放置していたので悪化。

結果、手術をすることになった。

 

ま、ここら辺の、中身を書くと長くなるので省こう。

 

それから由宇町に戻るのだが、腰の手術は成功したのだが、徐々に歩くのが困難になっていった。

自宅でよく転けて顔を擦ったとか、手を怪我したとか、とにかく怪我ばかり。

そして最後はぶっ倒れて意識を失い救急車で運ばれた。

 

ご近所の方と話した。

 

「健吾くん、そろそろ広島で面倒見たほうが良いと思うよ」

 

「そうですか、分かりました」

 

ってことで広島で面倒を見ることとなった。

 

由宇町の家を売る手続きをしながら、自宅で見ることに。

 

最初は一緒に住み出したのだが、俺と合わないと思ったのか、一人で住むと言い出した。

結局、吉島に引っ越し、近所に母専用のアパートを借りた。

 

「うちゃ、ここで十分たい。」

 

この時、母はまだ68歳。

しかし、顔は老け込みどう見ても70代後半に見えていた。

腰の痛みに耐えられず、薬漬けだった。

 

やっと親子らしい生活で幸せな毎日だったのだが・・・。

続く

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