慧一之水 えいちのみず

マツダと日産の違い 広島が誇るマツダの底力2

前回の続き・・・。

 

 

「健吾へ、瀬野川の駅前の銀行で100万円おろして来て!

店員さんにこの手紙を渡したら大丈夫だからね。」

当時は子供でもお金を下ろせた。

 

俺は肌身離さず、おろしたお金を持って電車に乗った。

 

山形まで、長い長い列車の旅となった。

しかし、母親はどこか呑気だった気がする。

 

母「健吾、まずは東京行くばい!東京で陽子と会うて、原宿へ行くたい!」

 

俺「分かったよ」

 

当時、東京まで何時間掛かったか、全く覚えてないが、無事到着、陽子姉ちゃんと合流し、原宿へ行った。

うろ覚えだが、なんとなく記憶にある。

陽子姉ちゃんとは、ばあちゃんの妹の娘になる。俺は陽子姉ちゃんの4つ下の兄貴と仲が良かった。

6歳の頃の記憶では、陽子姉ちゃんは郷ひろみの大ファンだった気がする。

 

 

そしてショップへ。

 

店員「こんにちわ、何かお探しですか?」

 

陽子「今日は姉のジーパンを探しに」

 

店員「なるほど・・・。お客様、いくつぐらいですか?」

 

母「まだ29・・・。」(なんで東京の人は年齢ば聞くっちゃろかね・・・。)

 

陽子「智子姉ちゃんは、30ぐらいじゃない?」

 

母「陽子、なんば言いよっとね!うちゃ今年で29になったとばい!」

 

店員「🤭🤭🤭」

 

陽子「智子姉ちゃん、年じゃないんよ!普段の服のサイズを聞いてるんよ!」

母はてっきり、サバを読んでくれていると勘違いした💦

 

恥ずかしくなった陽子姉ちゃんは、咄嗟に出よう!

ってことで、結局何も買わずに店を後にした。

 

そこだけは強烈に覚えている。

 

 

さて、山形へ向かわないといけない。

陽子姉ちゃんとは、上野駅で別れた。

あれから45年近くなるが、会っていない。

 

 

山形に着いて、蔵王の雪景色に圧倒された気がする。

 

記憶も薄れているが、確かショップの方の家に泊まらせてもらった。

同年代の子供が居たので、俺的には楽しかった。

 

親父は山形で、車を販売する営業マンになっとった。

広島マツダならぬ、山形マツダ蔵王支店ってな感じなんかな。

 

いよいよ明日は支店に行って事情を聞くらしい。

 

俺は家の子達と遊びに夢中。

東北弁が新鮮だったのを覚えている。

 

 

 

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