慧一之水 えいちのみず

追悼 打ったら早いよのぉ 慧一の水

殿と呼んでいる大切な知り合いがまた一人亡くなった。

享年74歳。

聞いたらワクを4回接種していた。

元々肺を患ってはいたけど、やっぱりブーストなのかなと。

苦しんだ様子は無かったから、まあ良しとしよう。

 

その殿との出会いの話を少しだけ。

 

 

当時27歳の俺は血気盛んで、まだ若い兄ちゃんって感じ。

この頃ね。

右側よ。左は俺なんて足元にも及ばんくらい超人気でモテモテだったアキラ。(享年50歳)

ケントス時代なのでリーゼントは当たり前なんよ。

 

 

この頃、初代メンバーが引退し、ボーカル、ギター、ベースがごっそり入れ替わった。唯一女性ボーカルとキーボード、そして俺が残った。

そしてプロデューサーから新しいバンドのリーダーを任命された。

気に入らなかったのは元バンドリーダーのキーボードの方。

最後までずっと仲たがいの感じじゃった🤣

辞めるまで仲が悪かった気がする。(その後和解して、ゴルフ仲間となった😝 享年52歳)

 

リーダーになった辺りから、殿はちょこちょこ店に遊びにくるようになった。

風貌は上田正樹似のおじちゃん。広告デザイン会社の社長。

途中から毎回遊びや食事に誘ってくれ、段々と仲良くなっていった。それが殿こと西村社長。

 

休日には殿の彼女がやっていた料理屋に呼ばれて奢って頂いた。

そこで働いていたのが、まだかけだしだった、今では笹組という名で幅広く活躍している佐々木君だった。(店舗情報 | 料理一門会 笹組 (sasagumi.jp)

 

それからというもの、毎晩遊ぶことに。

違法カジノに連荘で通っては一晩で50万勝ったり負けたり、翌日の昼頃まで遊んどったこともある🤣(※これとは別に最初のバンドメンバーの時は3日間寝ずに麻雀をしたこともある🤣🤣

夜ステージ、終わったら速攻麻雀開始、翌日のステージ前までジャラジャラ。それからステージ、そして麻雀そして・・・さすがに4日目はぶっ倒れました。ステージ上で寝てた気がする🤣)

 

話を戻そう。

 

そして、バンドを辞める時(俺はある事情で家が無かった(;^_^A)私の手癖の悪さで三行半を突き付けられ、帰宅したら、もぬけの殻。布団以外何も残っていなかった🤣🤣🤣

住む所が無くなったが、幸い寮があったので無理やり入り住み込んだが、辞めるとなると、さすがに出ないといかんから前倒しで退去した)、殿から「うちに来い!一緒に住もうで!健吾と一緒に住んだらおもろそうじゃん!」

という理由で殿の家にお邪魔することとなり、居候生活がスタート。

 

夜な夜な、辞めたら会社に入れ。会社に入れと、口説かれていたが断った。

当時ネットワークビジネスに夢中で、それで大成功すると信じ切っていた馬鹿な俺。

 

が、成功するはずもなく辞めた時の借金は300万に膨らんでいた。

 

その後、殿は自分の会社を持たせてくれたり(いきなり幹部として優遇)、海外へ面白そうなビジネスの種が無いか行ったり、ハワイでたこ焼き売ろう!って遊んでみたり、とにかく、おもろい人だった。

 

じゃけど、居心地は悪かったから結果辞めて独り立ちした。

ま、そこら辺の事はまた今度話しましょうかね。

 

それからは、別で会社をやっている俺とは、ちょとずつ疎遠になっていき、たまに顔を合わせてはいたぐらいじゃったかな。

 

そして、とどめはこのコロナになって、全く会うことが出来ず。

 

そこに、殿と仲良かった方からの久しぶりの☎

嫌な予感は的中。

 

「殿が死んだんよ」

やっぱりか・・。

 

聞けば、ワクを4回も打ったそうな。

そりゃそうだよな・・・。

 

悲しいけど仕方ない。

穏やかな顔で逝かれたらしいからそこは安心。

 

この年齢になると別れが多いね・・・。

 

今日は長くなったかな・・・・😭

 

 

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